息子を亡くしてからも
僕や家族の人生は
そのまま続いています。
もちろん、
今までと同じように
仕事をして、
同じように人と付き合う。
ただ、同じ生活をしているはずなのに
物事の感じ方が随分と変わったように
思います。
例えば、
グチを言う気がすっかりと
失せてしまった。
(元々そこまで言いませんが。。)
生きているだけで
まあ、いいよな。
どこか、そんな感覚があるように
思えます。
だから、周りのグチを言ってる人を
不思議に感じるようになっています。
「この人はなんでそんなに不幸そうに
生きているんだろうか?」
もっと言ってしまうと
ニュースなんかを見てても、
「なんでこんな人が生きてるのに
息子は死ななければならなかったのか」
と思うことも正直あります。
世の中を見てると
無条件に当たり前に、
「長く生きることは素晴らしい」
という考え方が溢れているように
感じられます。
むしろ、人間だけにとどまらず
犬や猫も長生きさせようと、
本人(本犬、本猫か?)の意思に関係なく
なんとか生かされているような場面を
テレビで見ることもあります。
言うまでもないと思いますが、
そりゃ、健康で不安もなく
心穏やかに長生きできれば
一番良いでしょう。
でも、多くの人が、
長く生きることが素晴らしいと
盲目的に信じながら、
苦しそうに日々を送っている。
僕はそこに何とも言えない
矛盾を感じてしまうんです。
別に、不幸そうな奴は
みんな死んだほうがいい。
みたいなことでは
もちろんないんですけどね。
寿命が尽きたという実感
僕は当然ですが
息子にもっと長く
生きてもらいたかった。
きっと本人も
もっと生きたいと
思っていただろう。
でも、息子の通夜の時に
僕の父親が言葉を選びながら
言ったことが、
真実だったなと思います。
「○○はここが寿命だったんだろう」
僕も家族もどこかで分かったいたし、
息子本人も、もしかしたら
自分の命がもう長くないと
感じていたかもしれない。
あぁ、寿命が尽きたのだ。
そこを痛感させられました。
でも、同時に、
13年という世間的には
短い生涯を、
息子は太く生きたなと
思えています。
主張も強かったし
パワーがあった。
どれだけ僕に影響を与えたか
ということだけでも、
太い太い人生だった。
だから、すごく思うんですね。
細く長く生きることに
一体どれほどの意味があるのだろうか?
まあ、僕だって今は細いですね。
僕の寿命が尽きて
また息子と会った時に、
胸を張れる人生を送りたいと
そっと思っています。