ちょっとケチな話

毎週金曜日の夜は
妻の実家でご飯を
いただいています。

お義父さんとお酒を飲みながら
食事をしているので、

家に帰って来る時には
良い感じにほろ酔いです。

(ほろ酔いどころではないか。笑)

ブログを書かずにゆっくりしても
良いんですけど、

酔っぱらってても
書きたいんですよね。笑

失言には気を付けて
書いていきます。笑

失言には気を付けたいと
思いつつも、

お酒を飲むとちょっと
突っ込んだテーマで
書きたくなります。

今日はお金について
書こうと思うんですが、

割とケチな話です。笑

ここ数日オーディオブックで
本を聞いていたんですが、

その中で興味深い話が
ありました。

「あなたはお金を誰かに
あげていることになる」

という話です。

例えば、

家賃を払えば
大家さんにお金を
あげていることになります。

これは言い換えると、

大家さんのために
自分は働いている
ということになりますよね。

その本では、

言い方は悪いけれども
社会の奴隷と一緒ですよね。

と。

もちろん、生活をするために
住む場所は必要だし、

食べるためにスーパーに
お金を払うことも必要ですけど、

そのために自分の手元に
お金が一切残らないのであれば、

それは人に自分のお金を
全てあげていることと
一緒ですよね。

そんなお話でした。

手厳しい話だなと
思ったのですが、

自分の体験や
人から聞く話と
照らし合わせた時に、

「お金がすぐになくなる」

という話はよく聞くことです。

でも、

これはよく考えたら
おかしな話ですよね。

お金を払うということは
その代わりに、

何かしらの商品や
サービスを手にしているはずです。

その手にしたものに対して
自分がしっかりと
満たされていれば、

お金がなくなるという感覚には
ならないはずなんですよね。

これはつまり、

多くの人は大切なお金を
自分が本当は価値を感じないものに
支払っていると言えるかもしれません。

そう思うと、

社会の奴隷という表現は
的を得た表現なのかも
しれません。

そんなことを思いつつ、

今日のお昼は
うどんのチェーン店で
食事をしました。

支払ったお金は
600円ほどです。

この600円について
よく考えてみたんですよ。

僕は今日、このうどんを
どうしても食べたくて
ここへ来ただろうか?

このうどんを食べて
心から感動しただろうか?

そんなことを思った時に、

確かに美味しかったけれど
どちらかというと、

うどんをどうしても食べたいと
いうよりも、

お腹をリーズナブルに満たしたい
という気持ちのほうが
強かったなと思った訳です。

そのために本当に
600円は必要だったのか?

ものすごくケチな話ですけど、

なんかしっくりこないなと
正直思ってしまいました。

ちなみに、

今日の実家ご飯は
お義父さんの誕生日から
日が近かったので、

1500円ほどのお刺身を
買って行ったのですが、

この1500円には
十分な価値があったと
思ったんですよね。

600円のうどんランチと
比べたら、

倍以上の金額な訳ですけど、

600円には価値を
感じなかったのに、

1500円には価値を感じた。

この感覚って相当大事なこと
じゃないかと思ったんですよね。

まあ、金額の多寡は関係ないですかね。

自分が本当に納得することに
お金を使えば、

きっとお金がなくなる
という感覚には
ならないのかなと思います。

自分はどんなお金の使い方をして
どんな残し方をしているのか?

改めて考え直してみるのも
いいのかなと思ったところです。

まあ、なんというか、

ケチな話ですね。笑

こういうことを考えるのも
またいいんではないでしょうか。

では。

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