先日実家から、
母がお風呂で意識を失い
溺れて危険な状態という
連絡が入りました。
何とか一命は取り留めましたが
未だ昏睡状態が続いており
予断を許さない状態です。
来月は息子の一周忌もあり、
こんな短いスパンで
命のドラマと向き合うことになるとは
思ってもいませんでしたから、
これらの出来事は僕にとって、
やはり生きる意味を考えざるを得ない
ものとなっています。
ここ最近は、
人生楽しく生きられれば
それでいいのかもしれないなと
考えることもあったのですが、
表現が難しいのですけど、
ただ楽しいという生き方は
僕にとって楽しいものには
なりそうもないのです。
人生の重みを一度体験してしまうと、
逆に軽さは耐え難いものに
僕には感じられます。
ならば、
仕方ないので
もう重みを背負って
生きるしかない。
そう覚悟するしかない。
そんな風に感じています。
(まだ100%出来ている訳ではない)
では、どう生きることが
重みを背負って生きることに
なるのだろうか?
僕が色々考えて出した結論は、
自分自身が、
「あぁ、俺は今生きているのだ!」
と感じられるように
生きることだろうと
いうことです。
いや、だからそれが分からないんだ
という声が聞こえてきそうですけど。笑
でもこれは、
自分だけの『分かる』瞬間が
あるように思います。
頭でいくら考えても
分からないけども、
心が「その通り!」と
叫ぶ瞬間が必ずあります。
僕は今、ちょっと掴みつつあります。
小さなことでも構わないから、
自分が納得をして生きられる道を行く。
もしかしたら恥ずかしさを感じて
人にはなかなか言えないような
ことかもしれません。
僕が今思い描いていることも
なかなか人に言うのは
勇気がいります。
怖いですよね。
でも、自分の道は
自分で切り開いて
進んでいくしかない。
一歩ずつ進んでいきます。
では。