『終活』という淋しい響き

今日、テレビの特集で、

『終活』

について色々な解説を
していました。

銀行口座であったり
デジタルデバイスの
パスワードであったり、

人が一人この世からいなくなるだけで
様々な問題が出てくるようでした。

僕はこの特集を見ながら、

人は望む望まないに関わらず
生きているだけで色々なものを
しょい込むのだなと思いました。

人が一人亡くなることで起こる
様々な問題のうち、

一体どれだけのことが
その人の人生で重要なこと
だったのでしょうか。

もちろん一人ずつの答えがあり
ひとつの結論を出すことは
出来ないのでしょうけど、

どうも僕がその特集を見る限り、

そこまで重要なものは
案外ないのかもしれないと
感じられましたね。

僕は今このブログを
亡くなった息子のパソコンを使い
書いていますが、

このパソコンの中には
息子はほとんど何も
残していませんでした。

これは息子が人目を気にして
出来るだけ自分がやった
何かの痕跡を消したいと
望んだからでもありますが、

いざ亡くなった後に
パソコンを開いた僕は、

そのあまりに殺風景な
デスクトップ画面に
とても驚きました。

息子が『終活』をしていたとは
少し考えにくいですけど、

結果的に僕は、

「淋しい画面だけど美しいな」

と感じました。

僕は自分の息子が亡くなった時点で、

自分もいつ死ぬかは分からないと
かなりリアルに感じられるように
なりました。

自分にとって本当に重要なことを
重要なままにしておける人生を
送りたいと強く思います。

では。

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