今日はちょっと短めの
日記的に。
生きる意味を問われる映画の主人公
今日は家の用事で有休を取り、
その用事までの時間で
久しぶりに一人でゆっくりと
時間を過ごしました。
僕は基本的に家で一人の時間が
出来ると、
Amazonプライムで映画を
観ることが多いんですけど、
今日は『ゴジラ-1.0』を
観ることにしました。
まあ、時間がなくて
最後まで見れないという
悲しい結果でしたが。。
途中までしか観てませんが
僕的にはなかなか良い感じの
映画だなと感じましたよ。
一番惹かれたのが、
主人公が生き方を問われている
というところですね。
僕は、ヴィクトール・E・フランクルの、
「あなたが人生の意味を問うのではない。
あなたは問われる存在なのだ。」
という言葉がとても好きなのですが、
今回のゴジラの主人公も
問われている存在だなぁと
すごく感じました。
そして同時にこの主人公を
うらやましいと思いました。
映画ではその問われていることの
答えがちゃんと目の前にあるからですね。
(主人公の境遇はとても辛く悲しい
ものではあるんですけどね)
僕も色々と試練のようなものが
あるたびに、
何かを問われているような
感覚を感じるのですが、
その問いに対して
答えが出ることは
とてもまれです。
それはとても辛くて苦しい
ことであると同時に、
答えがでないというのも
まあ、ありではないか。
と感じることもあります。
きっと一生手探りだろうと思います。
少し気が重いですが。
僕は以前ある人から、
「人生は、自分が主人公の映画の
監督をしているようなものですよ」
と教えてもらったことがあります。
その自分の映画の結末を
自分がどのように設定するのか?
その答えを探すのが人生かなと
思ったりもします。
最後に
ずっとブログを書いてると
色んな邪念が頭に浮かびます。
「人に読まれなければ意味がない」
「日記なんて役に立たない」
「自分の好きなことより
読まれることを書かないとダメ」
とか色々ですね。
そんな色んな頭の言葉と
お付き合いしながら、
自分の言葉を紡ぐということは
実はとても骨の折れる作業です。
でも、決して安易な道は
選びたくないんですよね。
自分の感覚に従い
ただ書く。
僕は一生書き続けたいですね。
では。