本当の自分を探す大人になれない大人

本当の自分はあるのか?
自分の天職というのはあるのか?

こういうことを言いだすと世間では、

「いつまで子どもみたいなことを
言っているんだ」

「飯が食えなければ意味がない」

という答えが返ってくるように
思います。

僕だって家族がいる身ですから、

本当の自分を見つけるために
家族に不誠実なことを
する訳にはいかないですが、

最近、特に息子を亡くしてから、

僕の残りの人生をどう生きるか
よく考えるようになりました。

もう少し自分にも
自分らしく生きる道が
あるのではないかと。

では、

なぜ息子を亡くしたことが理由で
僕が自分らしく生きようとすることに
繋がるのか?

それは息子が短い人生を
太く生きたからです。

息子の晩年は半ば介護に近いような
形になっていました。

もし、息子がそのまま
ゆるやかに悪化しながら
もっと長生きをして、

ほとんど動くことも出来ないまま
50歳、60歳と生き続けていたら、

それは人としての生を
生きていると言えたのだろうか?

とふと考えることがあります。

とても悲しい想像になりますが、

息子も周りの家族も
ただ命があるというだけの、

細い人生になったのではないかと
思うんです。

残念ながら息子は13年という
短い人生でしたが、

その短い人生の中で
あれもやりたいこれもやりたいと、

貪欲なまでに生きました。

太く生きたなと。

そう思います。

その姿を見てしまうと、

ただ、飯を食うためだけに、

好きでもない仕事を
家族との時間を犠牲にして
自分の心までも偽って、

「飯が食えなければ意味がない」

なんて生きることは
あまりに潔くないと思えるんです。

自分や家族の生活を守るために、

あまりに多くのものを犠牲にする
生き方が、

本当に立派な大人と呼ばれる
生き方なのだろうか?

実は多くの人が
違和感を持ちながら
生きているのではないかと、

そんな風に思います。

僕は心と身体の感覚に従い、

違和感を無視せず
ちゃんと向き合って生きたい。

そして、

太く生きたなと
自分で納得出来る生き方を
したいと思うのです。

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