今日は母の日なので
晩御飯は外食をしました。
外でゆっくりと食事をすると
普段あまりしないような会話を
することがあります。
今日はちょっとの会話でしたが、
僕や妻だけでなく
亡くなった息子の妹である
娘にも、
様々な思いがあるのだなと
感じることが出来ました。
娘はたまに自分の兄のことを
ポロっと話すことが
あるのですけど、
今日もそんな感じで、
でも、そのポロっと出た話の中に
深い思いが含まれていることが
やはり感じられる訳です。
一人の人間の死というのは、
残された人間に大きな影響を
与えるのだなという、
まあ、言ってしまえば当たり前のことを
改めて強く感じた時間でした。
そんな時間の中で
ふと思い出したある話を
今回は書いてみようかと思います。
一人称の死、二人称の死、三人称の死
僕は解剖学者をしていた
養老孟子先生が話されている
動画が好きでよく観ています。
その中の話で、
養老先生が亡くなった方の
解剖をしていく過程で、
あることに気付いたと言うのです。
それが、
人の死には三種類あるということです。
まあ、見出しにも書いているのですが、
・一人称の死
・二人称の死
・三人称の死
の三種類です。
一人称の死とは
自分の死のこと。
二人称の死とは、
「あなた」
つまり、自分の夫や妻や子、
親などの近しい存在の死のこと。
三人称の死とは、
テレビのニュースなどで流れる
交通事故で亡くなった方など、
いわゆる他人の死のこと。
養老先生はこの三種類の死の中で、
一人称の死と三人称の死は
特に問題にならないと言っています。
まあ、三人称の死は
確かに痛ましいことには
違いないですけど、
テレビで流れる、
「事故で2名の死亡が確認されました」
という言葉に人生が変わるほどの
影響を受ける人はあまりいないでしょう。
一人称の死、つまり自分の死は
とても重要なことに思えますけど、
これも言ってしまえば、
自分が死んだ後は
意識も何もないのだから、
もう周りがどうなろうと
自分には何の影響もない
ということを考えると、
それほど重要なことではないと
言えるのかもしれません。
養老先生は、
死で一番問題になるのは
二人称の死であると言います。
まあ、これも考えてみれば
至極当然の話なんですけど、
こうやって改めて文字にしてみると、
死というのはとても主観的な
自分目線の事柄なのだなということに
改めて気付かされました。
ものすごくドライな言い方を
してしまえば、
全世界にとてつもない数の
死があるのに、
自分に影響を与える死というのは、
身の回りにいる、せいぜい数十人ほどの
死だけな訳です。
そんなことを考えていると、
「死というのはそれほど大きな
出来事ではないのかもしれない」
と考える猛烈にドライな自分と、
その数少ない死が
ある人の人生を根本から
変えてしまうほどの影響を持つ、
数では計り知れない
力があるのだと考える、
情緒的でウェットな自分が
いることに気付くんですね。
まだまだ自分の中では
混乱した部分が
多く残されていますけど、
何もなければ考えもしなかっただろう
生や死の問題と、
真剣に向き合うことが出来たことを
僕はとても有り難く感じています。
息子が命を懸けて教えてくれた
学びです。
娘の人生にも少なくない
影響があることでしょう。
そこにどんな意味を見出して生きるか?
僕は自分らしい生を全うするため
まだまだ進み続けたいと思います。