人生の意味を考える

息子が13歳で亡くなってから
もうすぐ5ヶ月が経とうとしています。

息子の晩年は身体もしんどく
半分介護に近いような状況だったので、

まともに寝る時間も取れないような
忙しい日々でした。

そんな状況が終わった今、

僕の身体は楽になりましたが
心には大きな穴が空いてしまいました。

心の隙間を埋めるため
何か行動しようと動きはじめても、

全く思うように動かない。

意味が感じられない。

だから、もうジタバタするのは辞めて、

しっかり立ち止まり、

自分の心の内側と向き合うために
ここに記録を残していきます。

人生に意味はあるのか?

息子が先天性の病気を持って
生まれてきた時から、

ずっと考えてきていたのが、

「なぜ、自分たちの家族が
こんな経験をすることになったのか?」

ということでした。

これは別に、

「なんでこんな苦しい思いを
しなければいけないのか」

という嘆きではありません。

僕は息子の病気のおかげで
多くの学びを得ることができました。

人生観が180度変わるような
大きな学びでした。

「なぜ、こんな学びの機会を
得ることになったのか?」

当時からそこに大きな意味が
あるのではないかと
考えるようになったんですね。

もちろん、

ただ、たまたま病気だっただけで
なんの意味もないだろうと
思ったこともあります。

知り合いから、

「神様は乗り越えられる人だけに
試練を与えるんだ」

と言われても、

自分はそんな乗り越えられるような
人間ではないし、

クズ人間だったらよかったのか
なんて考えたこともありました。

結局、ずっと答えなんて出ないまま
息子は亡くなってしまいました。

そして、

息子が亡くなった後に
出会った言葉があります。

ナチスの強制収容所生活を経験した
ユダヤ人精神科医、

ヴィクトール・E・フランクルの、

「あなたが意味を問うのではない。
あなたは意味を問われる存在なのだ」

という言葉です。

頭に雷が落ちたような衝撃でした。

自分は問われる存在である。

僕には、

「あなたはこの経験に
どう応えるつもりなのか?」

と聞こえました。

残念ながら、

どうすればいいのかなんて
全く分からないです。

でも、自分に問い続けることは
続けていこうと思います。

いつか何か見えてくるのだろうか?

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