『1Q84』から得る学び

ここ最近ずっとオーディブルで
村上春樹さんの、

『1Q84』

を聞き流しながら
運転をしてるんですが、

オーディブルはなかなか良いですよ。

興味あれば試してみてください↓

オーディブル

『1Q84』だと全部オーディブルで
聞けるんですけど、

全部で6巻あって、

ひとつ10時間くらいあるので
全部で60時間以上の長さになります。

それでも聞き流してるだけなので、

なんなら長い方が結構良かったりします。

今、最後の6巻目を聞いてるので
もうすぐ終わるのかと思うと
ちょっと名残惜しいですね。

今日はちょっとこの『1Q84』を
聞いてて印象に残ったセリフについて
書いてみようかと思います。

説明しなければ分からないことは、説明したって分からない

このセリフは僕の中で結構
インパクトがありまして、

「あぁ、確かにそうかもな」

と思った言葉になります。

最近、それを強く感じたのが
娘の宿題を教えている時ですね。

娘はよく、宿題が分からないと
聞いてくるのですが、

問題を見てみると
大体例題が付いていて、

その通りにやれば
解けるような問題が
ほとんどなんですよね。

多少、応用が必要なところも
ありますけど、

頭の体操みたいなものです。

言ってしまえば、これらの宿題は
説明をしなくても、

見て考えれば解ける問題な訳です。

でも、それが分からないと言う。

「例の通りに順番に解いてみな」

と説明しても、よく伝わらない。

一応あの手この手で説明は
するんですけど、

教えるというのは本当に
難しいのだなと実感するばかりです。

まあ、この宿題問題に関しては、

娘がやりたくないから
そもそも考える気がなかったり、

コミュニケーションの一環として
僕に質問してくれているという
側面もあるかもしれませんけど。笑

まあ、娘の宿題という身近なことで
話しましたが、

僕の他の人生経験でも
同じようなことは多々ありました。

学生時代に、いくら仕事の大変さを
熱弁されても全く分からなかったし、

親になるまでは親の大変さも
やはり理解することは
出来ませんでした。

一体何をどこまで説明するべきなのか?

僕は人との対話を
とても大切なものと
考えていますが、

(ちゃんと対話しようとする人は
案外少ない)

相手に何かを説明する時に
何をどこまで説明すればいいのか
分からなくなることがあります。

僕は特に決まった答えがない
哲学的な話やスピリチュアルな
話も好きだったりするので、

相手に『理解』をしてもらおうと
しても、

上手く説明出来ないことが多いです。

また、いくら説明されても
理解出来ないことも多いです。

でも、こんな時に思うのが、

分からないことを「分からない」と
いうことの大切さですね。

つまり、

分からないから、より説明を
するのではなくて、

「分からない」という
答えでもいいんだということ。

もっとざっくり言えば、

「分からないんだから
仕方ないじゃないか」

って話です。

そして、

分からないことを分からないまま
自分の中に抱えるという強さが、

これからを生きていく上で
結構重要になるのではないかと
思ったりします。

いや、だってみんな
正解の答えばかり求めますもんね。

全てのものに答えがあるという
考え方は、

段々しんどくなってくるんじゃないかと
僕は思いますね。

最後に

いや、ここまで書いてて
思いましたけど、

この記事でもなんやかんや
説明っぽくなってますかね。笑

言葉を扱うということに対して
もっと修行が必要ですね。

たくさん書こう。

では。

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